女優のきっかけ

吉永小百合が女優として歩み始めるきっかけとなった出来事があります。

「演ずること」を教えられたのは小学校5年の担任の奥野幸文先生。学芸会の劇で母ウサギの役をした。「医療少年院で上演したら、少年たちが泣きながら見てくれたんですよ」
 16歳で名作「キューポラのある街」に出演。浦山桐郎監督、当時30歳から「貧乏について考えてごらん」と問われる。「ダボハゼの子はダボハゼなんだ」という鋳物職人の父に「私は家の犠牲にならないわ」と反発する少女ジュン。あのころは貧しくても明るかった。サユリストと呼ばれるファンは、そこに共感した。
 安保闘争から所得倍増へ、日本は高度成長の波に乗る。64年、東京オリンピックの年、自分からその役を演じたいと申し出た「愛と死をみつめて」。「大人の世界は汚い、大人になる前にこの世を去りたいみたいなところがあったんですけれど、顔の半分を失うがんなのに、なおかつ生きることにこだわった大島みち子さんの手記を読んで、ほんとに感動したんです」
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